2011年 03月 23日
不便の基準…
|
イタリア生活、実はいつもよりちょっと不便な東京の生活より、不便だったり…
同じ先進国、ここまで差があるんだ、と、住み始めのころは、いちいち驚き…
それが、いまでは、
「不便なこと」
「ないこと」
それが、「普通」
多少のことには対応できる自分になった。
でも、「不便」と思うのは、日本人の私の意見であって、イタリア人にはそれが「普通」。
この状態を不便だなんて、微塵も思っていない。
ここ数年、東京の良さを聞かれると、「便利なこと」と答える自分。
そう、東京は便利。
足りないものがほとんどない。
かゆいところまで手が届いた品揃い。
でも「それで幸せなのか?」と聞かれたときに、「どうなんだろう?」とすぐには答えられず…
今回の地震で、ちょっと不便な東京を経験して、なぜ「どうなんだろう?」と引っかかったか、答えが見えた気がした。
イタリア生活で、「なかったら作る」ことを覚え、そのことを面倒と思うわけでもなく、「これ、自分で作れたんだ!」と喜び…
元々、手作りが好きで、得意だから、余計かもしれないけど。
今回、東京で足りないものがどんどん増えていくのを目の当たりにしたとき、「さて、じゃあ、代わりに何を使おうかな」「これで、何が作れるかな」と、すんなり切り替えが出来て…
「ないから不便」ではなく、「なかったら作ればいいよ」と。
たぶん、イタリアに来る前なら、こんな風に簡単には切り替え出来なかったと思う。
きっとないことに戸惑っていたはず。
便利に甘やかされた生活から離れたおかげで、鍛えられた感覚。
ここでの生活は、自分の根っこの部分、みたいなところで、忘れそうになっていた大事なことを思い出させてくれてるのかも。
だから、便利と幸せがイコールにはなりにくかったのかな。
作ることで幸せを感じられるのなら、ちょっとだけ不便ぐらいは乗り越えられる…
ちょっとたくましくなったよね。
同じ先進国、ここまで差があるんだ、と、住み始めのころは、いちいち驚き…
それが、いまでは、
「不便なこと」
「ないこと」
それが、「普通」
多少のことには対応できる自分になった。
でも、「不便」と思うのは、日本人の私の意見であって、イタリア人にはそれが「普通」。
この状態を不便だなんて、微塵も思っていない。
ここ数年、東京の良さを聞かれると、「便利なこと」と答える自分。
そう、東京は便利。
足りないものがほとんどない。
かゆいところまで手が届いた品揃い。
でも「それで幸せなのか?」と聞かれたときに、「どうなんだろう?」とすぐには答えられず…
今回の地震で、ちょっと不便な東京を経験して、なぜ「どうなんだろう?」と引っかかったか、答えが見えた気がした。
イタリア生活で、「なかったら作る」ことを覚え、そのことを面倒と思うわけでもなく、「これ、自分で作れたんだ!」と喜び…
元々、手作りが好きで、得意だから、余計かもしれないけど。
今回、東京で足りないものがどんどん増えていくのを目の当たりにしたとき、「さて、じゃあ、代わりに何を使おうかな」「これで、何が作れるかな」と、すんなり切り替えが出来て…
「ないから不便」ではなく、「なかったら作ればいいよ」と。
たぶん、イタリアに来る前なら、こんな風に簡単には切り替え出来なかったと思う。
きっとないことに戸惑っていたはず。
便利に甘やかされた生活から離れたおかげで、鍛えられた感覚。
ここでの生活は、自分の根っこの部分、みたいなところで、忘れそうになっていた大事なことを思い出させてくれてるのかも。
だから、便利と幸せがイコールにはなりにくかったのかな。
作ることで幸せを感じられるのなら、ちょっとだけ不便ぐらいは乗り越えられる…
ちょっとたくましくなったよね。
by naotachi
| 2011-03-23 23:45
| ひびのできごと